邦楽ロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONの「ブラックアウト」は、アルバム「ファンクラブ」の中心に位置づけられた曲であり、社会的な歌詞と不可解なプロモーションビデオ(以下PV)で有名である。私は、この曲の歌詞とPVは現代社会が抱える問題について描いていると考える。よって、このレポートでは、「ブラックアウト」の歌詞とPVが表しているものについて論じる。歌詞とPVの暗喩を考察し、歌詞とPVが、希望や人間性、環境などが失われた現代社会と未来について気付いているが、何もすることができない無力な人間を表しているという結論を導く。
まず、歌詞について論じる。歌詞には大まかに分けて環境破壊と、情報社会とそれが人間にもたらす影響の2つについて表していると考えられるフレーズがある。
環境破壊については、一行目「飛び交う記憶と黒い雲 砂漠に弾けて消える」という部分の、「黒い雲」が酸性雨をもたらす雨雲(または単に暗いイメージ)を表している。また砂漠は環境破壊の産物、または荒涼とした印象を私たちに与える。また九行目リピート部分「冬の雪原に 茹だる炎天下」も、異常気象を表していると考えられる。それに続く十行目「鈍る皮膚感覚」これは一般的に考えれば現実を感じられない、感覚が麻痺してしまっている現代人を表していると考えられるが、前の行との連続で考えると、環境破壊によって通常の皮膚感覚を失っているとも考えられる。
情報社会やテクノロジーを表していると考えられる部分は、一行目「飛び交う記憶」(情報が飛び交う様子)や、「光るプラズマTV来たる未来の映像」(二、四行目)である。また「ボタン一つで転送 来たる未来を想像する」(六行目)という部分に特に表されているのだが、技術の発展は通常プラスのイメージで、この行もそのように読みとれるのだが、全体の文脈から考えるとむしろこの部分は逆の、技術の発展によって、生じる問題を想像するべきだ、というメッセージなのではないだろうか。そして十六行目からの四行は、この情報化社会とテクノロジーの発展によってもたらされた問題を表している。「321 情報が錯綜 真実を知らない」は情報があふれ、何が真実かわからない状態を表している。また「想像と妄想の混同」という部分はバーチャルとリアルの区別がつかなくなった状態を表している。
これらをふまえて、このような問題が社会や人々にどのような影響をもたらすか示唆している部分を示す。「真魚板の鯉はその先を思い浮かべては眠る」(三行目)について、「真魚板の鯉」は「まな板の上の鯉」ということわざをふまえたフレーズであるが、「まな板の上の鯉」は人間の暗喩であり、危機が迫っているが、未来を想像しても何もせず現実逃避している人間を表していると私は考える。現実逃避しているイメージの根拠は「現実は逃げたい」(十八行目)からもかんがえられる。また「孤独」(五行目)、「僕を忘れないでよ」(十一行目)などのフレーズからは現代人の孤独感、また個としての人間が忘れ去られていくイメージが読みとれる。そしてサビ部分である「今 灯火が此処で静かに消えるから」(十二行目)は希望(=灯火)が消えていく様子が描かれている。「静かに」というフレーズは「誰にも気付かれずひっそり」というイメージを喚起させ、それが「君が確かめて」(十三行目)につながるのである。
ここで、作詞者である後藤正文の歌詞に共通してみられるキーワードである「ロスト(または喪失、失う)」(=灯火が消える)という現象が起きているが、「ただ立ち尽くす僕の弱さと青さが」(十四行目)というように「ロスト」を目の前にして何もできない無力な自分(=人間)が表されている。そしてそれは自分の「弱さ」と「青さ」の為であると書かれている。この「ロスト」と「青」という言葉の関連性は後藤の歌詞に特有の構造であり、それがよく表されている。また「青」と「弱さ」も二十五行目からの印象深い部分にも「滲む青 弱い痛み」と書かれている。
次に、PVについて考察する。PVは、いくつかの異なる場所のカットから構成されているが、そのどれもが監視カメラからの映像である。まず、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが演奏している場面や屋外駐車場のカット、スーパーのカット、地下駐車場のカット、住宅地、空港、プール、クラブ、エクササイズ教室などがある。最初はこれらの一見関連性のないシーンのどれもが日常的にありふれた風景である。
しかし、歌詞「降りやまぬ雨は軒先で孤独に合わせて跳ねる」(七行目)の部分から、なんの変哲のない風景にほころびが生じ始める。 スーパーには強盗が乱入し、地下駐車場では男が暴力を振るわれている。空港の検査官は中身をチェックするふりをして本を見たり、紙袋の中身(麻薬か?)を嗅いだりしている。このような倫理の欠如と対照に、エクササイズ教室のシーンは全員がひたすら同じ動きを繰り返していて、機械的な、無味乾燥な印象を受ける。
また歌詞「321情報が錯綜 真実を知らない」(十六行目)の部分からPVでは空港でチェックを受けていた男性が自分の荷物を持って逃走しようとし、スーパーでは強盗と店員がもみ合いになるなど、秩序の崩壊がさらに顕著に現れている。
またリピート部「かき消してしまわないように」(二十行目)から、画面に黒い楕円のようなものが現れる。この黒い影のようなものは一体何を表しているのか、またこれに追いかけられて人々が逃げ出しているのはなぜなのだろうか。
この黒い影はテレビ番組などで人物を隠す、修正やモザイクに形などが似ている。このPVが監視カメラの映像であることから、黒い影はそのような修正であると考えると、人々は、この黒い影に自分の姿が隠されてしまう、消されてしまうことをおそれているのではないか。倫理や秩序の欠如した日常の場面場面が、監視カメラによって監視されていること、それは非常に皮肉で、恐怖社会的な印象を受ける。しかし奇妙なのは、どんな倫理に欠けた行いをしている人でも、画面から消えることを恐れ、黒い影から逃げていることだ。このPVの中で、人々はむしろ監視されることを自ら望んでいる、監視されることによって自らの存在を客観的に証明しようとしているのではないだろうか。
最後にタイトル「ブラックアウト」(blackout)の意味を辞書で調べてみる。『研究社新英和中辞典によると、名詞では1,停電;消灯;灯火管制、2,報道管制、3,舞台暗転(演劇)、4,a瞬間的な失神,b一時的な記憶喪失という意味がある。この楽曲の場合、すべてが当てはまるという見方もできるが特に意味が強いのは3報道管制と4b一時的な記憶喪失だろう。PVの黒い影によって「報道管制」されたことによって自分の記録(=memory=「記憶」)が「喪失」する。またこれについて動詞black outの興味深い意味がある。検閲によって記事の一部を黒で塗りつぶす、ということから転じて「抹殺する」という意味も持つのだ。
これは、黒い影によって「報道管制」される、自分の記録がなくなるということが社会から「抹殺される」という恐怖になるということを示すのではないだろうか。このPVの中の人々は客観的な記録に残さなければ自分の存在すらも不確かになってしまうのだろう。このPVは、高度に発展した情報社会に生きながらも、情報や社会を支える技術に翻弄される人間の姿を描いていると考えられる。
これらのことから、結論として、「ブラックアウト」の歌詞とPVはどちらも現代社会の諸問題に対する警鐘と、その前に立ち尽くす無力な人間を描いている。特に、歌詞・PVともに重点的に示されているのは情報社会の問題点についてである。また、歌詞では直面した問題から目をそらし続け、最後に希望が消えていくのをただ見ているしかできない無力な人間が描かれているのに対し、PVでは監視されること、管理されることによって自分の存在を証明しようとしている、情報社会に翻弄される人間を描いているという違いもある。
出典
ASIAN KUNG-FU GENERATION「ブラックアウト」(「ASIAN KUNG-FU
GENERATION presents NANO-MUGEN COMPILATION」,「ファンクラブ」収録)
ASIAN KUNG-FU GENERATION「ブラックアウト」プロモーションビデオ
(「映像作品集4巻」収録)
http://www.youtube.com/watch?v=M1BLL-Zp6rE