神木くんと言えば少年役の鉄板と言ってもいい俳優さん。その役どころにある特定の雰囲気、通奏低音がある。
それが「少年」の象徴というべきものかも。
例えばスペックの一十一(ニノマエジュウイチ)とか、20世紀少年映画版のカツマタ君とかそれから声優だけどサマーウォーズのケンジとか少年、それも快活な少年じゃなくてちょっとおとなしかったり影が会ったりする少年。
文学の中で単に少年、って表した場合にそれは大体神木隆之介のイメージに合致するんじゃないだろうか。
たとえば文学少女を実写化したとして、主人公のコノハが神木くんです、といった場合、ありえない!っていう人はたぶん少数派だと思う。同じようにたとえば…まあしてほしくはないけどエヴァンゲリオンのシンジとか。
現にアリエッティの翔は神木くんがモデルで、声優も神木君。少年の象徴のような扱いをすでにされている。
何らかの作品の中の少年に、神木くんのイメージが大幅に外れているっていう場合はまずない。
突出したビジュアル要素が何もない少年がいたとして、この子はどんな感じ?と聞いたとき、神木くんみたいな感じ、っていうのは十分に受け答えとして成立している。ビジュアルと性格を同時に成立させうる。
それは神木くん自体の性格がどうであれ、一般的に形成されている「少年」のイメージが神木隆之介という俳優を通して具体化されうる、っていうこと。
例えば「僕は」っていう。「僕は、」「~だよ」としゃべる。大体は黒髪である。少し長めで寝かせている。色は白い。細身である。目は大き目。やや暗いところがある。人と積極的にかかわるタイプではない。なんだか文学的な雰囲気が漂う。図書室が似合いそう。背は普通。というようなイメージ。
だから、神木隆之介という俳優はスター性があるというわけではなく(すごく失礼だな)、皆が持っているあるイメージ、「少年」というイメージに与えられた「形」なんだね。だからどんな役でもこなせるし長く愛されるだろうなあ…。個性がなさそうに見えて、あそこまでの美形?でここまでの一般性は普通獲得できないですよね。まあそこはもしかしたらプロデュース勝ちなのかもしれませんが、そうだとしたら神木くんをプロデュースしている人(セルフプロデュースにしろ)は天才だと思います。
ある種の普遍性を特殊性の上に獲得している、たぐいまれなる俳優だと思います。
普通俳優というのは個性派俳優以外にもある程度の個性があって、だからグッドキャストやミスキャストがあるわけです。意外性のあるキャスティングってのもだからできるわけですが、たとえば、城田優をおどおどしたおとなしい役につければ、意外性のあるキャスティングなわけです。ところが神木くんはミスキャストはほぼありえません。神木くん自体のイメージがほぼ固定化しつつあるうえにその固定化しつつあるイメージは限りなく幅広い。だって「少年」ですから。それにずばぬけた演技力がプラスされているので本当にミスキャストするほうが難しいくらいですね。
それでも心配なのが、神木くんが成長して、「少年」の領域を抜けたときどうなるのか。イメージをどう転換できるのか。または継続させるとして、そこは以外にも「少年」というフィールド以上に、「青年」のフィールドは一つ一つの幅が狭く、多様です。そこをどううまくこなしていくのか、見守っていきたいですねー。
ちなみに私と神木くんって同い年なんですよ。探偵学園のときに空恐ろしい子が出てきたなぁーと思っていたら、スペックで本当に空恐ろしい子になってしまったじゃないですか! ひゃーすごいね~。
最後の最後に、20代後半になっても今のイメージを保っていられたらぜひ実写版デュラララ!!(無理だろう…)の折原臨也役をやってほしいです。その場合静雄は…うーん…むずかしいっす。あ、でもどっちかというと幽かもしれないね。神木くん。ってか今のままこなせるね幽。そもそも実写デュラっていう前提がありえないが。
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