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ピンク・フラミンゴ・クロッキーズ

表現規制やセクマイ、サブカルなどについて適当に書いています。ゆるい素描と備忘録。
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「人間失格」失格

これの元ネタです。未完成。

********************


生田斗真主演の人間失格はもっとも好きな映画のうちの一つです。

ですが、原作の映画化としては失敗の部類だし、ブクログの評価も低い。ある意味当然。
なぜなら、この映画は人間失格の本質を表していないから。すばらしい映画とは言えない。

ただ、すごく光る部分がある(すごく上から目線だ…)というか、原作に忠実ではないけれど非常にすばらしい部分があって、さらに人間失格、ひいては太宰治へのある新しい見方を示唆してるんじゃないでしょうか。


以下全部私の考えたことですが、

人間失格には二本の柱がありまして、それは葉蔵の純粋さと、「男との友情においては、葉蔵は結構ましだったのではないか」という二つじゃないかと思っています。

葉蔵の純粋さについては、なんか監督がインタビューでそれっぽいことを答えていたことをぼんやりと覚えてまして、詳細はしらんのですけど、たぶん意識してるんじゃないかなって感じです。感受性の強さみたいな。これは太宰自身にも言えることで、太宰の行きつけのバーの女主人も「あの子は天使みたいでした」みたいな言葉を残していたはずです。

あ、ちなみにここでは葉蔵は太宰自身とオーバーラップすると考えています。中原さんとか含めるとそれが解釈として合ってる気が。


んで二つ目。これは私が腐な目線から見た結果かもしれませんが…笑
このお話のキーキャラは堀木です。堀木に注目して見ていただきたいのです。太宰をとりまく女性陣はコロッコロ変わりますが、堀木だけは最後まで通して葉蔵のそばにいるキャラクターです。まあ平目もですがそこはおいといてw

普通に見ると堀木は葉蔵に寄生するだけのゲスな人間に見えますが…果たしてそうでしょうか。
まず、出会いのシーンから。堀木は葉蔵に「五円貸してくれないか」と言います。葉蔵は素直に貸します。そしてここから二人の友情は始まります。その後、友人として付き合いながらなんどかこの「五円貸してくれないか」という台詞が出てきます。そのたびに素直に葉蔵は五円貸します。いろいろあって時には冷たく接しますが(このへんは後程)最後まで堀木は葉蔵を気にかけます。そして葉蔵がモルヒネ中毒で入院するとき、堀木は葉蔵にモルヒネと注射器をあげようとするのですが断られます。さらに「五円貸してくれないか」と言いますがそれも「いやだ」と言われてしまいます。ここからラストまで堀木は出てきません。

そして最後の印象的な列車内のシーン。座席には今まで葉蔵が出会ってきた人たちが座っています。そして通路をあるってくるのは中原中也と堀木です。堀木は葉蔵に「五円貸してくれないか」と言います。すると葉蔵は急いで五円取り出して渡します。そして堀木は葉蔵に赤い絵の具のチューブを渡して去っていきます。このシーンがほぼラストシーンといってよいでしょう。

この流れが非常に私は好きで、すごいなと思うんですが、いかがでしょう…


まず、病院で堀木は葉蔵にモルヒネをあげようとします。これは、葉蔵がこれが欲しいだろうと思ったから、葉蔵を喜ばせるためにとった行動なんじゃないかと。それがたとえまちがってても、とにかく葉蔵を喜ばせたかった。このあたり以前の堀木の葉蔵の遊びに関連してくるかなって。だけど葉蔵はそれを拒みます。五円も貸しません。これはすごく象徴的です。初めから、「五円貸してくれないか」という台詞で堀木と葉蔵はつながっていて、それを拒むわけです。そうすると堀木は「お前のことが初めから嫌いだった」と険しい顔で葉蔵に告げます。そうすると葉蔵はうれしそうに笑います。これは、堀木が本当はどう思っているにしろ、葉蔵はこう言われることを望んでいたという風に解釈できます。つまり、堀木に優しくされるよりも、嫌われたかったということです。

一方堀木はどうかというと、堀木が葉蔵をどう思っていたかは何パターンか考えられるので、まず最初に本当は堀木は葉蔵が好きであった場合(ここでは一応友情で)、葉蔵を喜ばせるために、モルヒネを渡すという、いわばむしろ本人のためにはならないことまでしようとしたが、結局葉蔵が求めていることはそれではなかった。葉蔵はむしろ堀木との関係を断ち切り、堀木に嫌われることを求めていた。だから「お前のことが初めから嫌いだった」と言って、葉蔵を「喜ばせてあげた」。こう考えると、堀木めちゃめちゃ切なくないですか!? 

そこで次の列車内のシーンに行きます。このシーンでは堀木の重要性が示されています。たくさんいる葉蔵と関係をもった女性たちは座席に座っているだけで葉蔵とは何もしゃべりません。つまりone of themなわけです彼女たちは。ところが堀木は列車内の中で唯一葉蔵と会話をする。これだけでもう重要ですが、それが「五円貸してくれないか」。そしてここで葉蔵は必死に探して渡すんですよ!つまり、これが葉蔵は本当は五円を貸したかった、貸せなかったことを後悔していた、つまり堀木との友情を保ちたかったということだと思います。

 そして堀木が渡す赤い絵の具。これは何通りもの解釈がありますが、最初に思ったのは、堀木は、モルヒネではなく絵の具を渡したかったのではないか?絵を描くことはこの作品のなかでは希望と夢の象徴です。モルヒネを渡すことは確かに一時的に葉蔵を喜ばせるかもしれない(結果としてそうではなかったわけですが)だが、本当は、葉蔵に絵を描かせたかったのではないか、そういう風にできなかった自分を悔いているのではないかという解釈。

あるいはこれが葉蔵の走馬灯だとして、葉蔵は堀木に、モルヒネではなく絵の具を渡して欲しかったのではないか、自分を甘やかすのではなく厳しく接してほしかったのではないか、本当の望みである絵を描くことを堀木に望んでほしかったのではないかと思います。

あるいは単純に出来事として考えると、最後に堀木が葉蔵に絵の具を渡した、堀木は実は絵を描くことを望んでいたと単純にも考えられます。つまりあの絵の具のシーンに台詞をつけるとしたら、「お前が本当に大事なものはこれだろ?」ってことです。

葉蔵がそう望んでいたとするなら、病院からの流れは非常に切ないですねー。すれちがいですねー。堀木の後悔だったらそれも切ない。両方はやばい。もうこの二人どうにかして。笑。

一方で、二回目視聴後に、絵の具のさらなる仕掛けに気づきました。あの絵の具、堀木と葉蔵がであったすぐあと堀木が葉蔵から盗んだものだったんですよね。で、葉蔵が堀木の家を訪ねたとき部屋にあって、堀木はそれを絵の具の箱を占めて隠すんですが、その時絵の具は全く使われてないんですね。その絵の具が最後に渡す絵の具なわけです。んで最後でも結局未使用のままなんですよ。盗ったけど使えなかったんだとしたらホントにやばいですね。爆発しますね主に私が。

これと上の考察を合わせるとやばいですね。本当は、二人ともただの友情を育みたかったのかもしれない。ただ親友になりたかったのかもしれない。
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神木隆之介の象徴性――「少年」の象徴

 
神木くんと言えば少年役の鉄板と言ってもいい俳優さん。その役どころにある特定の雰囲気、通奏低音がある。
それが「少年」の象徴というべきものかも。

例えばスペックの一十一(ニノマエジュウイチ)とか、20世紀少年映画版のカツマタ君とかそれから声優だけどサマーウォーズのケンジとか少年、それも快活な少年じゃなくてちょっとおとなしかったり影が会ったりする少年。

文学の中で単に少年、って表した場合にそれは大体神木隆之介のイメージに合致するんじゃないだろうか。
たとえば文学少女を実写化したとして、主人公のコノハが神木くんです、といった場合、ありえない!っていう人はたぶん少数派だと思う。同じようにたとえば…まあしてほしくはないけどエヴァンゲリオンのシンジとか。
現にアリエッティの翔は神木くんがモデルで、声優も神木君。少年の象徴のような扱いをすでにされている。

何らかの作品の中の少年に、神木くんのイメージが大幅に外れているっていう場合はまずない。
突出したビジュアル要素が何もない少年がいたとして、この子はどんな感じ?と聞いたとき、神木くんみたいな感じ、っていうのは十分に受け答えとして成立している。ビジュアルと性格を同時に成立させうる。
それは神木くん自体の性格がどうであれ、一般的に形成されている「少年」のイメージが神木隆之介という俳優を通して具体化されうる、っていうこと。

例えば「僕は」っていう。「僕は、」「~だよ」としゃべる。大体は黒髪である。少し長めで寝かせている。色は白い。細身である。目は大き目。やや暗いところがある。人と積極的にかかわるタイプではない。なんだか文学的な雰囲気が漂う。図書室が似合いそう。背は普通。というようなイメージ。

だから、神木隆之介という俳優はスター性があるというわけではなく(すごく失礼だな)、皆が持っているあるイメージ、「少年」というイメージに与えられた「形」なんだね。だからどんな役でもこなせるし長く愛されるだろうなあ…。個性がなさそうに見えて、あそこまでの美形?でここまでの一般性は普通獲得できないですよね。まあそこはもしかしたらプロデュース勝ちなのかもしれませんが、そうだとしたら神木くんをプロデュースしている人(セルフプロデュースにしろ)は天才だと思います。

ある種の普遍性を特殊性の上に獲得している、たぐいまれなる俳優だと思います。

普通俳優というのは個性派俳優以外にもある程度の個性があって、だからグッドキャストやミスキャストがあるわけです。意外性のあるキャスティングってのもだからできるわけですが、たとえば、城田優をおどおどしたおとなしい役につければ、意外性のあるキャスティングなわけです。ところが神木くんはミスキャストはほぼありえません。神木くん自体のイメージがほぼ固定化しつつあるうえにその固定化しつつあるイメージは限りなく幅広い。だって「少年」ですから。それにずばぬけた演技力がプラスされているので本当にミスキャストするほうが難しいくらいですね。

それでも心配なのが、神木くんが成長して、「少年」の領域を抜けたときどうなるのか。イメージをどう転換できるのか。または継続させるとして、そこは以外にも「少年」というフィールド以上に、「青年」のフィールドは一つ一つの幅が狭く、多様です。そこをどううまくこなしていくのか、見守っていきたいですねー。


ちなみに私と神木くんって同い年なんですよ。探偵学園のときに空恐ろしい子が出てきたなぁーと思っていたら、スペックで本当に空恐ろしい子になってしまったじゃないですか! ひゃーすごいね~。

最後の最後に、20代後半になっても今のイメージを保っていられたらぜひ実写版デュラララ!!(無理だろう…)の折原臨也役をやってほしいです。その場合静雄は…うーん…むずかしいっす。あ、でもどっちかというと幽かもしれないね。神木くん。ってか今のままこなせるね幽。そもそも実写デュラっていう前提がありえないが。

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